2021年12月18日
映画 『 本当のピノキオ 』 の副主人公達

先日紹介した映画 『 本当のピノキオ 』 の中で、ピノキオが住む村に
ドサ回りの(知らない人の為に、地方巡業の事ね!)人形劇の一団が
やって来ました。もちろん人形だから糸で操られて動くのですが、
その魅力的な人形役を、いわゆる 《 小人 》 と呼ばれる人達が
演技していました。彼らの存在感は映画ではとても重要で、まさに
ファンタジー、夢の国の住人です。実社会では成長が止まるこの病気の
人々は、奇異の目で見られたり、いじめにあったり、生活するにおいて
様々な辛い体験を強いられてきた事と思います。
ずっと昔のブログの記事に、奇形や変わった人々を撮り続けたアメリカの
写真家、ダイアン・アーバスの事を書きましたが、彼女が写真集の中で
語っていた事を再度載せます。以下。
私には二つの顔があるように思います。
私はご機嫌とりがうまくて、その事が気を滅入らせることもあります。
調子が良すぎて全てが素晴らしいと言ってしまうのです。
なんて素晴らしい、という言葉が口癖のようになってしまって、異常な
顔をした女の人を前にしても、その言葉が口をついて出てしまう。
でも私は本当に素晴らしいと思っているのです。
しかし自分がそんなふうに見られたいと思っているわけではありません。
子供たちにもそんなふうになって欲しいとは思いませんし、個人的に
そういう人にキスしたいとも考えません。けれども、それは本当に驚くべき、
否定できない何か素晴らしいものなのです。
こう見なければならないのに、違うように見てしまうことが誰にでもあると
思いますが、それが人間のものの見方なのです。街で人と出会ったとき、
あなたが最初に気づくのは、その人の欠点や短所なのです。
私が言おうとしているのは、あなたが他人になり変わることは
不可能だということです。こうしたことは小さなことなのかもしれませんが、
他人の悲劇は決してあなたの悲劇ではないのです。
奇形の人々の写真を数多く撮りました。
彼らは私に羞恥と畏怖の入りまじったような感情をもたらしてくれます。
奇形の人々には伝説の中の人物のようなある特別な価値が備わっているのです。
例えば人を呼びとめては、なぞなぞを出すお伽噺の主人公のように。
ほとんどの人たちは精神的に傷つくことを恐れながら生きていますが、
彼らは生まれたときから傷ついています。彼らは人生の試練をその時点で
超えているのです。彼らはいわば貴族なのです。
私は彼女と同じような感覚を持っていたので、この言葉を読んだとき、
彼女の言葉に救われたような気がしました。
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