2011年12月05日
写真家 ダイアン・アーバス

私がダイアン・アーバスの写真に出会ったのは確か20代の頃だと思います。
有名な双子の写真はキューブリックの怖~い映画、《シャイニング》の中にも引用されていました。
あのシーンは多分引用ですよね?(誰か知ってますか?)
彼女は1923年にN.Y.に生まれ、夫と共にファッション写真家として仕事をしていましたが、リゼット・モデルに師事したのをきっかけに彼女自身の写真を追及し始めました。彼女は俗に言う変わった人達を数多く撮っていますが、より特殊でより個性的であればあるほど、その写真は普遍性を持つのだと語っています。
以下は作品集より、ダイアン・アーバスの言葉を抜粋したものです。
私には二つの顔があるように思います。私はご機嫌とりがうまくて、その事が気を滅入らせることもあります。調子が良すぎて全てが素晴らしいと言ってしまうのです。なんて素晴らしい、という言葉が口癖のようになってしまって、異常な顔をした女の人を前にしても、その言葉が口をついて出てしまう。でも私は本当に素晴らしいと思っているのです。しかし自分がそんなふうに見られたいと思っているわけではありません。子供たちにもそんなふうになって欲しいとは思いませんし、個人的にそういう人にキスしたいとも考えません。けれども、それは本当に驚くべき、否定できない何か素晴らしいものなのです。
こう見なければならないのに、違うように見てしまうことが誰にでもあると思いますが、それが人間のものの見方なのです。街で人と出会ったとき、あなたが最初に気づくのは、その人の欠点や短所なのです。
私が言おうとしているのは、あなたが他人になり変わることは不可能だということです。こうしたことは
小さなことなのかもしれませんが、他人の悲劇は決してあなたの悲劇ではないのです。
奇形の人々の写真を数多く撮りました。……彼らは私に羞恥と畏怖の入りまじったような感情をもたらしてくれます。奇形の人々には伝説の中の人物のようなある特別な価値が備わっているのです。例えば人を呼びとめては、なぞなぞを出すお伽噺の主人公のように。ほとんどの人たちは精神的に傷つくことを恐れながら生きていますが、彼らは生まれたときから傷ついています。彼らは人生の試練をその時点で超えているのです。彼らはいわば貴族なのです。
私(オバタケイコ)はこれらの彼女の言葉にとても感じ入るところがありました。私も彼女と似たような感覚を持っていたので、彼女の言葉に何か救われたような気持ちになりました。羞恥と畏怖が入りまじったような感情、よくわかります。
一番上の写真が彼女のポートレイトで、下のが彼女の作品群です。







小さくて判りづらいですが、すぐ上の室内の写真には独特の気配があります。
図書館に作品集もありますので、興味のある方は是非借りてみてくださいね。
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